雑記

とある日の日記[2010年10月18日]

小学生のとき、友達のエロ博士みたいなやつがいた。
ある時、早馬に乗って現れた彼は、凄い情報を持ってきた。

「女のマンコには”クリトリス”という小さいチンコみたいのがついてる」という極上のネタである。

しかし、「マンコ」と言われても”チンコの対となる存在”としてしか認識できていなかったピュアな俺たちは、
地動説を唱えたガリレオレベルで彼を迫害した。

「そんな奇妙なものがあるわけない!」
「なんで女の股間にちんこみたいのがあるんだ!」
「調査が甘いんじゃないか?」
「エロ博士も落ちたものだな。」
「女体への冒涜だ!」
「クラスのアイドルのあいつにもそんなものがあるとお前は言うのか!?」
「中小企業を元気にするために、法人税を下げるべきだ!」
彼への批判はみるみる勢いで増長していき、民衆はヒートアップするばかり。

結果、彼に下された審判は、、、
「今の俺らじゃ真実はわかんないし、とりあえず今日のところはポコペンでもやろうぜ」であり、
「ポコペンの最初の鬼」という重い処罰を受けたのであった。

しかし数年後、私を含む、彼を迫害していた一同は、愛と共に真実を知ることとなる。
(いまだ知ることとなっていない人もいるかもしれない。)

この経験から、私は下記のようなことを教訓として胸に刻んだ。
「多くの人は、自らの理解を超える情報を突き付けられたとき、
突き付けられた情報と、そのソースに対して批判や迫害を行う。
しかしそれは、自らを真実から遠ざける行為である。
真実に近づくためには、理解を超える情報を突き付けられた時も、
自らの目でその情報を見極めようと努力するべきである。」

この教訓は、今でも非常に役に立っている。